1995年フランス核実験再開のニュースに際し、漫画家協会の有志を募って「核実験反対漫画展」を企画した。その後、1998年のインド・パキスタン核実験北朝鮮のノドン発射の衝撃を通じ、この漫画展を【成長する漫画展】と位置付けて見守ってきたこの間、二度のフランス展を含め20数回にも及ぶ大小の展覧会を日本各地で開いてきた。1999年10月9日から20日まで開催された広島平和記念資料館における【平和アピールMANGA展】―印・パの核からコソボまで─は、その頂点を示すものとなったが、漫画展は世紀を越えて今も成長を続けている
大宮市は関連事業として平成3年より毎年国際漫画フェスティバルを開催、漫画作品集「The Best Cartoons of Nippon」を発行1992年から「大宮市ユーモアフォトコンテスト」を主催作品集を発行し続けている。また、市民マンガ展や世界のマンガ作家、編集者を招いてのシンポジウム、ホームスティなど交流活動も盛んである。(2002年より設立準備委員会副会長)
1998年10月3日から12月13日まで開催された東京都現代美術館の「マンガの時代」展─手塚治虫からエヴァンゲリオンまで─は、ストーリーマンガの歴史を正面から見据えた企画として画期的なものであった。マンガジャパンの窓口として関与し、同時企画の講演会の一メンバーともなる。
1999年2月28日には、共同企画館となった広島現代美術館で講演。
テーマは「おしゃべりな象形文字“MANGA”」
1999年9月8日~11日 台湾マンガサミット参加、コメンテーター
「平和アピールマンガ展」広島大会に際し、世界各地のFECOのメンバーに呼びかけ多くの参加を得る
1999年10月3日 「2000年国際マンガ展イン・ニューヨーク」選考。出品
1999年10月8日京都精華大学内における私立大学図書館協会研究会で講演「文字・マンガ・映像と大学図書館」。
2000年4月マンガ新学科の開設に伴ない、大学図書館としては画期的な「コミック2万冊導入」を決定。ゲームの導入も同時決定。ゴヤ、ドーミエ、ロートレックなどの諷刺画、サ-ル、トミー・アンゲラーなどの一齣、マンガ評論誌などと合わせ、マンガ全体を俯瞰し研究可能な環境を整備。
基本設計、実施設計を通じての座長。公園全体のデザイン・プランを秋山孝・多摩美術大学教授に統一依頼。マンガ銅像の“ハシリ”である「アンパンマン立像」を公園内に導入、設置。建設クレーンを巨大な「アンコウ」に見たてたモニュメントデザイン。設置。
かつて、“落第発明”と揶揄された奇想天外なアイデアが、新素材、IT技術の急速な進展により大きな意味をもち始めている。同時に著作権問題にも留意しなくてはならない局面を迎えた。マンガ、ユーモアの精神を大切にしつつ、新しい時代にも積極的に対応したい。